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禅から学ぶゴルフ

ゴルフは、ボールをいかに少なくカップインさせるかである。
そのためには、スウィング、体力、自然との闘い、など、いろいろな条件を克服する必要が出てくる。

そのいろいろな条件の組み合わせは無限にあるでしょう。
その無限にある条件をすべて経験するということも無理な話です。

そこで考えられるのは、良い結果を出すために、自分の外側に理由を探し求めても、真の結論は得られないのでる。

自分の内なる本性に目覚めることで、初めて苦しみから解き放たれるようになる。

ゴルフの究極の目的は、ボールをいかに少なくカップインさせることですが、気楽な時と、緊張しての時とでは、明らかに結果が違うはず。

つまりは、緊張の時にこそ自分の本性があり、自分との向き合いが大切です。

ですから、緊張の中で、人から教わったことを思い浮かべるならば、それは既に意識が自身の内奥ではなく外へ向かっているため、

それは自分の外側に理由を探し求めていて、自分の本性で目覚めさせてないことである。

このような場合に、失敗という悔いに残る結果がでるのではないでしょうか。

もう一つの理由として、ゴルフ理論の固定化や分別を、自分の勝手な解釈により、「とらわれ」「妄想」でイメージを作り出す良し悪しは、偶然の結果に頼るものです。

 

文字や言葉、または、人の話から得た知識で乗り越えようとしても、それはむしろ妨げになっていくのです。

「自分の内奥が仏である」という仏教の教えからして、ゴルフについても、自分の内奥で考える必要があります。

沢庵和尚が例えた、「水」や「火」の説明を言葉でしても、実際には、冷たくも熱くもならい。
腹が減った時に、どんなに満腹になった食べ物の話をしても、空腹がなおらない。

実際に、自身の内なる本性や仏に覚醒する体験をしないことには理解できないのである。
そこで考えられるのは、日本古来からの禅によって禅定の境地を高めていくことで到達できる。

武士道精神の中には、このような禅による精神修行も含まれているようです。
すごい! 日本文化は素晴らしい!

 

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